門真南部九条の会が主催した平和ツアーに参加しました―長野県の松代大本営と無言館へ??その1?出発から松代大本営

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 4月の23日(土)・24日(日)の両日、門真南部九条の会が主催した、長野市の松代大本営象山地下壕と上田市にある戦没画学生慰霊美術館「無言館」への平和ツアーに参加しました。山宣ゆかりの別所温泉「柏屋別荘」で宿泊しました。

 23日の出発時は、あいにくの小雨模様でしたが定刻に元気いっぱい旅立ちました。車中で、参加者の自己紹介のあと同会事務局長の福山さんから松代大本営のあらましと無言館の館長窪島誠一郎氏がどうして無言館を開設したかなどの説明うけました。参加者から現地に到着するまでずっと講義(?)が続くのかと思った瞬間、絶妙のタイミングでビンゴゲームがはじまり一同リラックスムード漂う。私は、21人中3番目にビンゴが出て豪華景品(帽子はさみ)を獲得しました。

 和気あいあいのツアーは午後3時前に、松代大本営入り口に当たる象山神社駐車場にバスが到着。現地案内をお願いしていた松代大本営の保存をすすめる会代表の縣(あがた)重夫氏に出迎えてもらいました。

 早速、縣氏に先導してもらい象山地下壕の見学をしました。地下壕までの沿道にある黄檗宗恵明禅寺などの枝垂桜やソメイヨシノ、梅や桃などが咲き乱れとても綺麗でした。  象山地下壕の入り口を前にした瞬間、いっぺんに緊張しました。入り口から見る地下壕は薄暗く中から冷気が刺し、荒々しく削り取られた岩盤は、寒々としたものでした。

 私たちは、縣氏に地下壕内の要所要所で立ち止まり説明をしてもらいました。心をこめて情熱を持って私たちに語ってくれる縣氏のお話の中で私が一番印象に残ったのは、沖縄戦がアメリカ軍の本土上陸を遅らせて本土決戦の時間稼ぎ(大本営を東京から松代に移す)の犠牲になったことと、元ひめゆり学徒隊のみなさんが同地下壕を訪れ、沖縄のガマ(洞穴・壕)とあまりにも違う広く頑丈な施設であったことに驚き「この地下壕をつくるために、私たちは・・・」と絶句したというお話を聴いたことです。

 そして、この施設をつくるために、朝鮮半島から、いきなり捕まえられてトラックで揺られ、船に載せられ、無理やり日本に連れられてこられた4000人を超える人を含む7000人の朝鮮人が人間扱いされず、終戦のドサクサに一切の書類が燃やされ、どれだけの朝鮮人が犠牲になったか、犠牲になったのは誰だったのか、どこにいつ葬られたのかが今だに判らないということでした。

 私は、いつのまにか泣いていました。いま、この記事を書きながら又、思い出して涙が出てきました。その時、怒りと言うよりも悲しさの方が勝っていました。

 訪れて良かったと思ったこともありました。それは、松代大本営を訪れる人が年間10万人を超えておりその多くが平和学習の為に中学生や高校生など若者が占めているとの事でした。最後に説明を受けた見学できる地下壕の最奥部の柵に修学旅行生が飾った折鶴がたくさんありました。大阪の中学生が折鶴で作製した「わすれないで」と描かれた額がとても印象的でした。

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このページは、亀井あつしが2006年4月 4日 16:48に書いたブログ記事です。

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