門真南部九条の会が主催した平和ツアーに参加しました―長野県の松代大本営と無言館へ??その2?山宣(山本宣治)ゆかりの別所温泉で宿泊

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山宣(中央)とタカクラ・テル(左側)の記念碑をバックに
 
 
柏屋別荘玄関と「千と千尋の神隠し」の湯屋のモデルといわれる本館/td>
 
 
山宣の講演記念碑は、1971年まで(戦後)柏屋別荘のこの場所に置かれていた
 
 
柏屋別荘の大女将と記念写真を撮らせてもらいました

 別所温泉には、鎌倉時代の古刹がたくさんありました。24日の朝、雲ひとつない青空で風もなくとても清々しいひと時を散策しました。
 門真南部九条の会は、今回の見学の目的地の1つ「山本宣治、タカクラ・テルの記念碑」のある別所温泉に宿泊しました。別所温泉は、信州の鎌倉といわれています。私たちは、別所温泉の柏屋別荘に宿泊しました。柏屋別荘は、真田幸村ゆかりの石湯の隣にあり旅館で、木造4階建ての本館は、宮崎駿監督のアニメ「千と千尋の神隠し」の湯屋のモデルといわれています。

 山本宣治は、生物学者であり戦前、治安維持法にただ一人反対し右翼の凶刃に倒れた労農党の代議士です。(詳しい内容は、宇治山宣会のホームページを参照ください)

 私は、京都生協に在職していた(31年前)当時、山宣のお墓(京都宇治市内)の近くの配達をしていたこともあり時々お参りをしていました。「山宣ひとり孤塁を守る だが私は淋しくない 背後には大衆が支持してゐるから」この言葉を何度も何度も口にしているとジーンとします。そして、元気が出てきます。局面局面ではさまざまな困難にぶつかりますがめげないで頑張ろうという気になってきます。(いま、書き込み中も)

 私は、山本宣治についてそんなにたくさんのことを知っていません。西口克己さんの小説「山宣」を読んだのと山本薩夫監督の映画「武器なきたたかい」を観た程度で、小説「山宣」は、30年以上前に読んだものでほとんど覚えていません。映画「武器なきたたかい」については、1シーンだけ記憶に残っている箇所(それもうろ覚えで正確でないかもしれませんが)があります。それは、南山城の小作争議で農民が田植え前の水田を囲み警官と対峙し、警官が泥まみれになってしまうシーンです。したたかな大衆の知恵と力に共感しました。

 別所温泉の「山本宣治、タカクラ・テルの記念碑」には、すばらしいドラマがあったことをご当地に来て知りました。  山本宣治を招いて上田市周辺の小作人の組織「上小農民組合連合会」は、1929年(昭和4年)3月1日、上田市公会堂で1000人を集め講演会を開きました。この上田での講演の4日後に、東京神田の旅館で殺されました。

 山本宣治の1周忌までに講演記念碑を建てる事になりましたが、碑を建てる土地が権力の妨害もあり確保できませんでした。そんな中でやっと用地を貸してもらえたのが今回宿泊させてもらった柏屋別荘の主人であった故斉藤房雄氏でした。

 記念碑を、粉々に取り壊すように警察から命令された斉藤房雄氏は、「碑は壊した」と警察に始末書を提出して、密かに碑と台石を柏田別荘の庭の一隅に埋め守られたそうです。そして、1971年の10月8日に現在の場所に再建されました。
 


天台宗別格本山常楽寺の本堂。住職の半田大僧正は、第一回原水爆禁止世界大会の議長を務めるなど平和を守る先頭にたたれています。


安楽寺の国宝八角三重塔


木曽義仲も訪れたといわれる「大湯」の玄関前で

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このページは、亀井あつしが2006年4月 6日 16:50に書いたブログ記事です。

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